利用事例

連載6回:アイリス 株式会社 様

インフルエンザ拡大を防ぐ、AIによる「匠の目」

 毎年世界的に流行するインフルエンザは、その感染拡大を防ぐため可能な限り「早期に、高精度な診断」が必要となります。アイリス株式会社様は、この社会課題を解決するため、AIによる「匠の目」を使っての画期的なインフルエンザ検査法を開発しています。開発にあたっての同社独自の取組などを取締役 CTOの福田様に伺いました。

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アイリス 株式会社

取締役 CTO 福田 敦史 様


インフルエンザをAIで検査できる


― AIでインフルエンザの検査ができると伺いました。どのような仕組みなのでしょうか。

福田 敦史(以下、福田):

インフルエンザは感染してから48時間ほどで最初の症状が出ます。この自覚症状が出る前後から、喉にインフルエンザ濾胞(ろほう)というものができます。濾胞は水泡のようなもので、インフルエンザ以外の病気や、健康な人の喉にも実は存在するのですが、原因によって形状などがいろいろ違います。

インフルエンザでできる濾胞は、イクラのように赤くてつやがあって、真円形でぷりっとしています。実は生理的濾胞といって健康な人にも濾胞が見られる場合もあるのですが、こちらはインフルエンザ濾胞よりつやがなく、色合いも薄く、少し大きい場合がほとんどです。その違いを発見したのは、実は匠の技を持つ日本の医師なんです。

― 違いが明らかであれば医師が自分の目で診断できそうですが、AIを使う必要があるのですか。

福田:

はい、この診断手法を提唱した匠の先生自身も、習得するのには10年近くかかったそうです。というのも、発症直後のインフルエンザ濾胞は小さいのですが、時間がたつと徐々に広がってべたっとした感じになっていきます。経過日数によって変わっていく濾胞を見分けるのは難しいのです。でも匠の先生は、発症から1~2時間後には90%以上といった高い精度でインフルエンザを診断できています。

いま普及している、鼻に綿棒を入れるイムノクロマト法による検査は、発症して24時間経たないと診断精度が十分にあがりません。鼻の粘膜からウィルスを掻きとって検査するのですが、体内でウィルスが繁殖していても検査で検出できるほどになるまでは時間がかかるのです。


自分の技術で世の中に貢献したい


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― 福田さんは医学の経験はおありなのですか。

福田:

私はちょっと変わっていると言われるんです。大学は経済系の大学院を出ていまして、企業の収益や働く人の満足度などを数学を使ってシミュレーションする研究をしていました。

その知識を生かせる分野として、最初は外資の経営コンサルティングファームに入ったんです。でも当然、学生の頃に想像していたものと実際の仕事って乖離があって、全てがサイエンスで解けるわけじゃない。自分が想像していた世界とのギャップを感じるようになりました。

それから、研究職や医療・介護向けのITサービス企業を経て、経理など様々な業務を一括で請け負うアウトソーシング事業を主軸とする会社に、CTOとして参画することになりました。この会社では、業務委託を含めると社員は数百人いるのですが、なんとほとんど全員がリモートワーカーでした。社員はもともとは企業に勤めていたけど出産・子育てで離職した方なども多く、90%以上が女性でした。全員が違うところに住んでいるので、飲み会もオンラインで、総会もVRなどでやっていました。

エンジニアとか研究者ってこう、離れていたり散歩している時間の方が良いアイデアが浮かんだりします。それならば会社に留め置かない、リモートワークという可能性にすごく感化されたのがこの会社でした。

その後、アイリスCOOの田中大地と共通の知り合いの結婚式で出会うことになりまして、代表取締役社長の沖山翔や、アイリスの事業の話になりました。もともと私がエンジニアとして夢見てきたことは、自分が作り出した技術で直接的に世の中に貢献し、苦しんでいる人達を救うことでした。インフルエンザってみんなが苦しんでいますし、毎年流行します。アイリスの素晴らしい事業に関わることで自分の技術力で世の中を変えられるかもしれないという思いが芽生えて、入社を決めたという感じですね。


”医術の道は長く、人生はかくも短い”


― アイリス株式会社さんは、インフルエンザ検査のために創業した会社なのですか。

福田:

「Aillis」という社名は、”Art is long, life is short.”(医術の道は長く、人生はかくも短い)という言葉からとっています。沖山がいつも言っているので私にも染みついているのですが、医学で一番大事なのは患者さんの心に向き合うことだと。どういう技術で施しを受けたかというだけでなく、先生がどう向き合ってくれたか、家族はどう温かい気持ちで接することができたか、といった気持ちの問題が重要になってきます。そこで最期の時を迎えてしまったとしても、幸せな最期を迎えることができれば満足感を得られるわけです。

医師を目指す人が大学で教わる知識は医学のほんのわずかです。実際には現場で匠の先生から弟子として教えてもらって、ようやく一人前の医師になったと思ったら50歳、60歳になってしまう。そういった状況を変えたいという思いが込められています。沖山はフリーランスの救急医師として全国の病院を回りながら、自身で数学やAIの勉強をしていました。その中でAI、深層学習がときに人間の目を超える認知力を持つことを知り、AIの力を借りることで若い先生でも匠の医師の技術をすぐに使えるようになるのではないか、という思いがあって起業に至りました。

― 医療の現場に「匠の医師の眼」を入れることが出発点なのですね。

福田:

そうです。そこで沖山が心がけているのは、スタートアップで大企業と同じことをするのではなく、独自の分野に取り組むということです。たとえば内視鏡の画像解析は、内視鏡メーカーには絶対に勝てるわけがない。オープンデータセットでできるものも、GoogleやFacebookが本気を出せばできてしまう。医学の発展は競争ではなく分業であるべきなので、大企業が向いているところは大企業がやり、逆に医師としての経験から価値を感じていたインフルエンザ濾胞から着手したんですね。

インフルエンザ濾胞を発見した先生は地方にある個人医院の先生なのですが、沖山がこの先生の書いた論文をみて非常に感銘を受け、直筆の手紙を書いて会うことができました。今も教えを請いながらプロジェクトを進めています。


インフルエンザ診断装置を、全ての病院に


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― インフルエンザ濾胞の画像診断は、もう使われ始めているのですか。

福田:

医療機器の開発は、国から承認を得るなど長い年月がかかります。 また匠の医師の眼を再現するには非常に沢山の喉の画像を集める必要があります。

昨年の冬から画像を収集し始めましたが、今年はさらに画像を集めて、もっと精度を高めて安定性を増すよう、AIを仕上げています。また撮影するカメラなどのハードウェアにもこだわっています。ソフトウェアだけだと後発の企業に負けてしまうので、参入障壁をあえて高めるために喉専用のカメラを開発しています。

喉って、開く人は開くのですが、なかなか開かなかったり狭まってしまう人もいます。そこで、舌をぐっと押さえるヘラのような形の先にカメラが付いた、ペンライトのようなものを作っています。

― 実用化はいつ頃でしょうか。

福田:

2021年頃を目指しています。起業の時に専門家に聞いたところ、開発スタートから新しい医療機器が上市されるまでには最低5年、どんなに短くても3年はかかると言われました。実際に開発をスタートしたのが2018年の4月ころなので、これでもありえないぐらいの早さです。

― 誰でもかかる病気ですから、どこの町の病院にもこの診断装置があると嬉しいです。インフルエンザ以外にも、将来応用できる病気はありますか。

福田:

まずは喉の画像をたくさん持っていますので、その強みを活かしていきたいと思っています。喉はいろいろな病気が現れる場所なので、溶連菌1とかアデノウィルス2とかも同じカメラで診断できるようにしたい。推論エンジンをアップデートすれば、他の病気にも対応できるようになります。


様々なAI技術を集めて、高精度の診断を実現


― AI開発で苦労されたところはありますか。

福田:

実は単純に濾胞部分の画像だけだと、それのみで精度100%というわけにはいきません。医師も、濾胞を中心に口の中の様々な様子や、患者さんの容体、流行の状況などを総合的にとらえて、インフルエンザかどうかを診断しています。そういったメタ情報をどう深層学習に組み込んでいくかという取り組みはあまり既存の技術にないので、かなり技術的なチャレンジだと思っています。

― 精度というと、インフルエンザの人をインフルエンザと診断することと、インフルエンザではない人をインフルエンザではないと診断することの両方がありますね。

福田:

「感度」と「特異度」という考え方ですね。感度は陽性の人を陽性と正しく判定する確率で、特異度は陰性の人を陰性と正しく判定する確率です。既存の、鼻に突っ込む方法は特異度が非常に高く、感度が低いです。陰性の人は陰性と正しく診断されますが、陽性の人が陰性と診断されてしまうことがあり、陰性だからと会社へ出勤してしまう。

― 患者としては、逆の方が良いですね。診断が微妙でも、抗ウィルス剤を処方してもらって仕事を休んだ方が良いですから(笑)。

福田:

ただ、特異度が既存の手法に劣ってしまうと、そもそも既存の技術より優れた医療機器を目指す我々のミッションとしてふさわしく有りませんので、高い目標値を課しています。

― 特異度を高くすると、感度が下がってしまうのではないですか。

福田:

おっしゃる通りですが、それでも従来以上の感度を目指しています。例えば超解像と言って、深層学習の力で画像をくっきり鮮やかにする技術があります。写真上でははっきりしない形に留まる情報でも、ここにあるだろうということを学習して、補完することのできる技術です。この超解像に卓越した技術を持つ研究者が弊社にはいるので、こういった優れた前処理をかけることで精度を上げることは可能だと考えています。他にもベイズ最適化に精通したエンジニアや、国際データ解析オリンピック日本代表に選ばれた一流のデータサイエンティスト、医療画像解析に非常に強い研究者などが所属しています。

― さまざまな分野の方が協業されているんですね。

福田:

実際には業務委託の形で参加している方も大勢います。事業が社会的に大きなインパクトを与えることがわかっているので、皆さん自分の技術が世の中に役立ってほしいという気持ちがすごくあるんだろうなと思います。

先ほど話したように、私はリモートワークを積極的に導入しているので、ほとんどみんなオンラインで仕事をしています。やっぱり優秀な人って缶詰にして働かせるより、短い時間でスピードを上げていくことが大事なので、細切れに仕事ができるような環境を確保しています。

そういう人達が働きやすいよう、自由に競争できるプラットフォームも独自に作っているんですよ。Kaggle3というデータ分析のコンペティションにヒントを得たのですが、メンバーがいろんな手法を試して、感度や特異度の順位を競い合う。競争の持つポテンシャルってすごく感じていて、企業の競争力や技術力を高めるだろうと思っています。

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ABCIなしには生きられない


― ABCIはどのくらい使っているのですか。

福田:

ABCIは、我々はそれなしには生きられない、というくらいのものになっています。複数の優秀なエンジニアが自由に競い合って、リモートワークでオンデマンドに学習モデルを試していますので、クラウドで使えるABCIはすごく利便性が高いなあと思っています。

これが自前のGPUだと、それぞれ専用のインスタンスを用意して、複数同時実行しようというときに対応できないです。オンデマンドでインスタンスを立てられるABCIは、ものすごく僕らの開発に適しているので、これなしでは開発が進まないという状況です。今では自前でGPUを用意する必要が全くないなと思って、全てABCI上で開発しています。我々の事業は季節によって変動も大きいので、スケーラビリティーに優れているABCIの方が会社の固定資産としてGPUマシンを持つより相性が良いですね。

― 使ってみてどのようなメリットを感じましたか。

福田:

私達は、複数のノードを用いて分散して学習できる環境を構築し、非常に高速にディープラーニングの学習を進められるようにしています。 この環境のおかげで学習に要する時間は0.5~1時間程度になりました。通常ディープラーニングの学習はGPUマシンを用いても8~24時間程度かかるので、圧倒的な速さです。私達はAIの精度を高めるため様々なモデルを構築しては精度を検証するという実験を数多く行う必要があるので、学習を非常に短い時間で完了できるのは大きなメリットがあります。

― ABCIに、もっとこうなってほしいということはありますか。

福田:

我々はABCIなしには生きられないので、ダウンタイムがなくてずっと使えると嬉しいですね。その間は商用サービスを使ったりするのですが、基本的には1インスタンスに対して1つの学習が限界なので、ABCIのように複数ジョブを投げて様々なパターンの実験を試すことは難しいです。 そういう理由もあって、自前のGPUは持たずにABCIだけを使っています。

聞き手 大貫 剛(ライター)

  1. 感染時の代表的な症状として38度以上の急な発熱、喉の痛みを引き起こす 

  2. ウィルスには多くの型があり、型によって発熱、喉の痛み、結膜炎、胃腸炎など様々な症状を引き起こす 

  3. 機械学習・データサイエンスに関する世界規模の予測モデリング及び分析手法関連プラットフォーム。さまざまな組織(企業や政府機関など)が提示した課題に対して、データサイエンティスト/エンジニアがコンペ形式で分析モデルを開発しあう仕組みを持つ。