利用事例

連載7回:Linne(リンネ) 株式会社 様

スマホからはじまる生物多様性保全の環(わ)

 国連の報告によると、現在、人為的な影響により最大100万種に及ぶ生物が絶滅の危機に瀕している恐れがあるといわれています。Linne株式会社様はこのような地球規模の課題に対して「AIとARで生態系に対する理解を深め、自然環境の持続可能性を高める」というミッションを掲げて、AIサービスを提供しているスタートアップです。誰もがもっているスマートフォンを起点にどのようなアプローチを進めているのか、代表取締役の杉本様にお話を伺いました。

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Linne 株式会社

代表取締役 CEO(共同創業者) 杉本 謙一 様



「かざすAI図鑑 LINNÉ LENS」を開発

― どのようなスマートフォンアプリを開発したのですか。

杉本 謙一(以下、杉本):

「LINNÉ LENS(リンネ レンズ)」は、動物にスマートフォンのカメラを向けるとリアルタイムで画像認識し、種類を判定できるアプリケーションです。全体で10,213種(2019年11月現在)を認識できます。「LINNÉ LENS」が対象にしているのは生物学的な「種」の単位ですが、イヌやネコはその下の「品種」まで認識できるように広げていて、ネコ目全体で584種、うちイヌ科は351種を判別できます1。ミックスのペットを飼っていらっしゃる方が、「うちの子はこの品種だと認識された!」と喜ばれるといった、想定外の楽しまれ方もされています(笑)。

アプリ自体には1万種の動物の画像データが全部入っているのではありません。学習したモデルを量子化2し、圧縮したものが入っていて、画像認識の処理をスマートフォンが行っています。スマートフォン内で完結しているので、認識速度が非常に速いのと、電波が届かない場所でも利用できます。アウトドアですと山の中や、水中でも使えます。私はダイビングをするのですが、潜水中に使えるスマホケースに入れて実際に水中で使ったりしています。

― とても楽しいアプリケーションですね。勉強にもなります。

杉本:

「かざすAI図鑑」がコンセプトです。一度認識した種は記録されるので、何種類コンプリートしたかという遊び方もできます。その種はどの地域に生息しているのか、生息地の水深や水温はどうか、絶滅危惧種のカテゴリに入っているか、どこの施設で見られるかといった情報もインフォグラフィックにして、見ることができるようになります。

さらに、いくつかの水族館や動物園と提携していて、その施設内で生物を認識すると施設の飼育員さんの解説を見ることができるようになります。まるで飼育員さんと一緒に歩いているようだと、ご好評をいただいております。

― 画像認識がとても速いですね。カメラを向けるとすぐに種の名前が表示されます。

杉本:

1つの認識に1/100~1/10秒程度しか要しません。SFのように、勢いよく出るものを作りたかったんです(笑)。また、水槽やサファリパークのようなところで、複数の生き物をカメラに捉えた場合も、1秒間に10件以上の認識ができるので、ほぼ同時に次々と認識していきます。

種の区別があいまいな場合もあります。専門家でも、魚のヒレのこの部分が良く見えないと判断できないといった場合もあるのですが、その場合は「〇〇科のなかま」と、ひとつ上の概念で表示します。カメラを向け続けると確率が積み上げられて、正答率が上がっていきます。

1万種に対して数百万枚の画像データセット、静止画や動画を学習させています。ディープラーニングはデータの量も重要ですが、最近の研究ではデータのクォリティの方が重要と言われており、いろいろな観点や角度から正確なデータセットを与えた方が、認識精度が上がりやすいという傾向があります。そういった観点でやってきたので、たとえば水族館でアザラシが水面から顔だけ出していたり、水槽越しに見えているような場合でも、僕らのサービスでは「ゴマフアザラシだ」と判別できるんです。

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LINEからLinneへ、人生を賭ける価値のある仕事創り

― Linne株式会社を創業する前はどんなことをしていたのですか。

杉本:

弊社は2018年夏に本格的に会社をスタートして1年ちょっとですが、おかげさまで「LINNÉ LENS」は文化庁メディア芸術祭やiF Design Awardなど多くの賞を頂き、テレビでも頻繁に取り上げられるなど注目を集めました。国内外の様々な企業、施設や研究者の方からも問い合わせをいただき、私たちもリリースが待ち遠しい新プロジェクトも進行しています。

共同創業者のヤン・ヒチャンと私の2人とも、以前はLINE株式会社で執行役員をしていました。ヤンはアプリ開発やサーバー、裏側のAIまで全て開発をリードしていました。ですから、アプリケーションを作ったりそれを拡大したりといったことは何でもできる、というのが僕らの会社のユニークなところです。AIも、検索エンジンを作るところから長いことやっていますので、当時は機械学習と呼んでいたものが最近はAIと呼び始めたんだな、という感じです(笑)。

LINEは世界中で数億人が使っていただけるサービスになりましたが、さらに僕らの能力を活かせる領域で、何か大きな課題がないかなと話していたんです。そんな中で。気候変動であったり生物多様性の喪失という問題に対して、進展が芳しくないなあと感じて調べてみました。すると、科学的なアプローチがあってもそれが政治のサポートを受けて社会実装されるのに長い時間がかかっている。その一番課題になっているのは、計測とモニタリングだと考えました。

― LINEから生物学へ、大きく変わりましたね。何かきっかけがあったのでしょうか。

杉本:

私は趣味がダイビングなのですが、海洋生物学者の方などと潜っていろいろ解説を受けると非常に面白いという体験をしました。だったらそれをディープラーニングで、視覚や聴覚を拡張して体験できるサービスにできたら面白いなと。プロダクトアウト側の発想です。

そういう中で、気候変動と生物多様性の保全といった活動を見ていくと、メジャーメント(測定)が欠けているということに気付きました。生物多様性がどう変化しているかを測定していないので、コストが上がったのか下がったのかを追跡して交換できる市場が成立しないのです。僕らがインターネットでやってきたことは、何かを測定可能にして収益を上げたりサービスを改善したりすることなので、その経験が役立つのではないだろうかと。

面白いというだけでなく、明確に解決できる課題があって、事業として収益化できると考えました。人生を賭ける価値のある課題である、というイメージですね。個人的には、上場企業で多くの人にサービスを使ってもらうという仕事には充足しました。その次のステージで20年、30年を賭けるに値する、本当の意味で価値のあるものをやりたいと思ってやっているんです。



AIのアシストで、科学の研究が変わる


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― アカデミック向けや企業向けの事業はどんなものですか。

杉本:

Linne株式会社が目指す長期的なビジョンは「AI・ARで生態系に対する理解を深めて持続可能性を高める」ということで、その中心は「専門家の目をすべての人に」という観点です。その一例として、この「LINNÉ LENS」というサービスをコンシューマー向けに提供しました。

生物学や生態学の研究者向けの支援ツールとしては、観測・観察の画像解析などを自動化するものを考えています。現在この分野の研究者は、赤外線カメラなどで長期間撮影された映像の中から生物が映っているシーンをピックアップするような作業を、労働集約的に行っています。既に大量にある撮影済み動画データをどうするかも、世界中の研究者の中で問題になっていまして、学生や大学院生が徹夜でがんばって読み取るしかないわけです。

そういうことをAIが手助けした方が、研究ははかどると思うんです。何も映っていないシーンの中から必要なシーンだけを取り出して集中して解析することができれば、研究者が科学的な発見や解明のところに集中することができ、研究の加速に役立てるのではないかと考えています。

また、顕微鏡をのぞきながら生物を見分けるような仕事も、同じだと思います。福井県の水月湖では、湖の底の無酸素の場所に何万年も堆積物が積もっていて、その層ごとにその年の植物とか花粉がどれだけあるかがわかると世界的に注目されています。でも、何万年分もの地層を観察するのに何年かかるのだろうと。自然界のデータから科学的な基礎データを生成するとことは、もう少しデジタル化されたりAIが補助したりした方が良いと思います。

― 「LINNÉ LENS」の技術が、科学研究を変える可能性がありますね。

杉本:

生物学や生態学の研究者は、どこかの箇所の研究や検証はできますが、より広域のデータを集めるためにテクノロジーを使うところまでは、やりたい思いはあってもやりきれていないところがありました。さらに「LINNÉ LENS」は、観測地点を全スマートフォンユーザーに拡張できる可能性があります。

今後は高齢化や科学予算不足で、人手をかけた調査が困難になっていく中で、「LINNÉ LENS」の技術なら誰でも写真と日時と位置情報を記録することができます。「さあ、調査をしよう」と言ってもなかなか多くの人には響かないと思うんですが、旅先で楽しみながら記録したデータが研究に役立つようになっていったら良いなあと思います。

動物行動学や植物生態学、海洋系などいろいろな先生の話を伺いますが、皆さん同じ課題を抱えています。分類する、サイズを測る、個体数を数える、その後の行動を解析する。これが基本的な型なので、個々の研究をスケールアップしていくと、社会的なインパクトにつながる。気候変動や生物多様性の喪失といった、人類の基盤に対する基礎的な理解が進まないと対策も打てません。

研究者向けでお金を稼ぐつもりはないので、企業向けやコンシューマー向けの事業でうまく回せるスキームを作って、アカデミック向けは実費程度でサポートすれば、きっと面白いことができると思います。僕らは研究者ではないので、研究をサポートすることで知識を頂いた方が良いんです。生物学や古気候学やほかの領域でもよいですが、それぞれのエキスパートの方々がデータの扱いに困っていることがあれば、そこをうまくサポートしてあげる。また研究室で個別にやるよりは、ひとつの認識エンジンをシェアして一緒にデータを取ることで、いわゆる「車輪の再発明」を減らして、世界で早く知見がたまります。



数週間から1日へ、ABCIで機械学習


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― 最初は自前でPCを用意して、AIの研究をスタートしたのですか?

杉本:

そうです。最初は10種ぐらいから始めてみて、100種に増やしても精度が上がるか、リアルタイムで動くかといったことを実験しました。地味ですが実は一番苦労したところです。学習に使うGPUも2台、3台、5台と増やしていって。ただ、学習の量が数千種に増えてくると、1回の学習に2、3週間かかり始めてしまった。

差分だけを学習するのであれば処理時間を抑えられますが、モデルを全部変えて学習させようとすると週単位、1か月ぐらいかかってしまう。社内のサーバーなのでコストは電気代ぐらいしかかかりませんが、トライ・アンド・エラーがやりにくくなりました。夏に稼働するとオフィス内が暑くなってきますし、これ以上データが増えるときついぞと。

― そこでABCIに出会ったのですね。

杉本:

2018年11月にABCIグランドチャレンジでソニーさんが受賞したニュースを知って、これを使えたら学習時間は1か月から1日になる。やってみる価値あるなと思いました。

今では学習する動物の種類が増えて計算量も増えていますが、16ノード(64 GPU)を使用して1日以内で計算できています。短縮したいのは学習にかかる時間ではなく、スマートフォンの推論速度の方ですから、1日でできれば僕らの事業では充分です。すごくありがたいですね。

― PCからABCIへ移行して、使い勝手はいかがですか。

杉本:

社内のPCもNVIDIAのGPUですし、違いは本当に計算パワーです。実際に使って感じたのは、使いたいフレームワークとライブラリが揃っていて、セットアップの手間がかからず使える便利さですね。GPUのスペックも最新で、計算パワーを必要とする処理が簡単な操作でできるのがいいですね。現在の事業には16ノードで充分ですが、さらに高速化しようと思えばABCIなら、ノードを増やすことは問題ないので、そこは楽しみにしています。あとは、さらに大きなGPUメモリがあれば良いなと思います。

ABCIでできるのは認識モデルの開発で、推論はスマートフォン側でやっているので、スマートフォンに載せられるようにアルゴリズムの改善などを行っています。モデルサイズと認識精度はトレードオフの関係にありますが、この1年で各分野の専門家にもご協力いただきながら、オンデバイスの軽量モデルでも継続的に認識精度を高められる仕組みが整ってきました。現在は、LINNÉ LENSで開発してきたAI技術を梃子に、研究者向け、企業向け、コンシューマー向けの新サービスの準備を進めています。スマートグラスの時代も見据えながら「専門家の目をすべての人に」届けるべくオンデバイスならではのリアルタイム体験を磨いていければと思っています。



聞き手 大貫 剛(ライター)

  1. 生物学上の分類では、イヌ科はネコ目(食肉目)に属する科の一つ 

  2. 一般的に32bit(64bit)浮動小数点で表現される重みなどのパラメータを数ビット(1〜8bit)で表現する手法。計算の高速化や学習済みモデル容量の削減などが期待できる。