利用事例

連載14回:株式会社 IABC 様

シミュレーションとAIが切り開く地震工学の新たな地平線

 近い将来、日本では南海トラフでの巨大地震が危惧されています。これまで、地震工学は実際に起こった震災被害の経験を元に発展してきましたが、甚大な被害を与える巨大地震が数百年~千年に一度と言われるなかで、そのような経験的手法だけでは現代の社会変化のスピードに追い付かない状況になってきました。今回は数理地震工学による物理シミュレーションをもとに、企業・自治体への地震対策を提言してきた株式会社IABCの本橋様と同社技術顧問、宮崎大学名誉教授の原田先生にお話を伺いました。


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株式会社 IABC

取締役 地震・津波研究室 室長 本橋 英樹 様(左)

技術顧問(宮崎大学名誉教授) 原田 隆典 様(右)


重要インフラへの地震・津波被害を研究


― 動画サイトの御社チャンネルを拝見しました。地震や津波の研究をされてるんですね。

本橋 英樹(以下、本橋):

 はい、地震・台風などの自然災害が、重要生産施設や社会インフラに及ぼす被害をなくすための物理シミュレーション手法の開発と、その適応性の研究をしております。


― なるほど、純粋な地震そのものの研究というよりも、地震が起こった時に産業施設や社会インフラにどんなインパクトがあるのかを研究されているということですね?

本橋:

 そうですね。例えば化学工場・製鉄所などの大型生産施設に対して、想定される巨大地震の3次元地震動・津波のシミュレーションを実施しています。工場の中の詳細な地震動・津波浸水被害を把握しながら、建物・施設の耐震化、そして例えば堤防を設置する必要がある場合は、その堤防設置の対策効果を検証して、周辺地域に対してどのくらい影響があるのかも含め定性的・定量的に評価しています。

 また、水道、ガスの幹線パイプライン、道路橋、鉄道橋といった社会インフラについても、断層破壊の不確定性を考慮した被害、防災対策の提案などをやっております。


― IABCさんは宮崎市に本社があるということですよね。本日はリモートで取材をさせてもらっているんですが、宮崎という地でそのような研究を始められたきっかけは何だったのでしょうか?

本橋:

 私が、宮崎で地震・津波の研究を始めたのは、原田先生のおかげなんです。

 もともと私は中国の出身でして、日本の高度な土木建築技術に興味があり1995年に日本に来ました。最初の2年間は福岡で言葉の勉強をしまして、そのあと、宮崎大学工学部の土木環境工学科に進学したんです。そこで、原田先生と出会いまして、先生のご指導を受けて地震工学・構造工学・耐震工学、そしてその数値解析のための振動・波動理論を学んでいきました。それから原田先生と一緒に地震における構造物の挙動や、耐震設計の弱点がどこにあるか、それを補うための研究を始めたんですよ。

 そのあとですね、阪神淡路大震災が起きて、都市の直下地震に対する的確な耐震設計をするために、震源断層近傍の強震動と構造物の応答挙動の関係を理論的方法で調べる研究を始めました。また、2011年の東日本大震災を受けて、地震による広範囲の津波被害を目の当たりにし、構造物への津波対策の重要性と必要性を改めて認識しまして2013年からは津波の研究にも取り組むようになりました。


― 確かに東日本大震災では津波の恐ろしさを思い知らされました。津波のシミュレーションというのは、大まかにどのようなものなんでしょうか?

本橋:

 沖のほうで計算する2次元津波(非線形長波理論)と、近海の陸域も含めて計算する3次元の津波モデル(Navier-Stokes式)の2つのモデルを組み合わせて計算します。このハイブリッド計算モデルは土木学会にも投稿したものですが、この手法によって陸側の施設、例えば道路・橋・住宅の3次元空間モデルが導入できて、高精度な津波浸水シミュレーションが提供できるようになりました。

 東日本大震災で桁流出した橋梁の被害再現をはじめ、今も沿岸地域、重要生産施設の津波対策、防災計画にも役に立つツールとして使っております。


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図1.南海トラフ地震による津波シミュレーション(2次元津波解析)


大規模物理シミュレーションでも使いやすいABCI


― 地震・津波シミュレーションの難しさはどんなところにあるのでしょう?

本橋:

 そうですね、やはり地震も津波の計算もそうなんですが、大規模の連立方程式を解いていきますので、膨大な計算資源と計算時間が必要になります。断層、地震動の場合は断層破壊モデルと、断層破壊だけではないその周りの地盤についての地下構造モデルを組み合わせた運動方程式を解きます。津波の場合は流体運動のNavier-Stokes方程式がありまして、これらの方程式を大規模な連立方程式に変換して解いていきますので、膨大なメモリが必要になりますし大変時間もかかります。


― そうか、複合した異なる現象を扱いながら、かつそれらを一つにまとめて解析しなければならないということなんですね。

本橋:

 ええ、そうですね。現在はまだ地震は地震、津波は津波のほうで別々に解析していまして、いまは流体解析のほうに断層運動を組み込むという手法の研究をやっております。

 このような大規模物理シミュレーションを行う上では、2つの要素が重要になると思います。一つはいかにシンプルで実行効率の高い高性能な計算環境を用意できるか、もう一つはその計算環境で並列性能を十分に引き出すプログラムの最適化ができるかどうかということです。


― ABCIはそれらの条件を満たしているのでしょうか?

本橋:

 はい、大変使いやすい計算環境だと思います。

 7年前、共同研究で私は原田先生と一緒にスーパーコンピューター「京」を使って数億メッシュ単位のシミュレーションを実施したことがあります。「京」は当時としては大変速い計算機だったんですが、ABCIを使い始めた最初のテストで「京」と比較してみたところ、CPU単体の性能でも10倍近い計算スピードが出ていました。


― なるほど、CPUの性能だけでもそれだけの進歩があったんですね。

本橋:

 ええ、そしてCPU性能も大事なんですけど、もう一つ大規模計算の課題になるのが、計算の実行時間になります。実行時間というのは、ジョブの実行待ち時間とジョブの時間制限の話なんですが、「京」の場合は、当時利用者が多いこともあって長いときは数日待たされることもありました。また、ジョブの実行時間は最長で24時間でしたので、データのステージイン/ステージアウトを考慮すると、実質十数時間までしか計算できないこともありました。


― ステージイン/ステージアウトって何でしょうか?

本橋:

 「京」では計算ノードと、データにアクセスするためのIOノードが分離していたので、処理するデータを計算ノードに送るステージインと、計算結果をIOノード経由でストレージに戻すステージアウトという処理が必須だったんですね。これは、化学反応式などのシミュレーションと比べて、計算結果が数TBになることもある大規模な物理シミュレーションでは、データ転送がボトルネックになり時間のロスが大きくなることを意味しています。

原田 隆典 (以下、原田):

 我々が行っている地震防災の物理シミュレーションというのは、地震とか津波の時に街や工場がどうなっていくのかを最終的には誰にでもわかるようなものにしたいわけです。ですから地震が起きて、3次元構造物が揺れて、そのあと津波がどう拡散して、それが構造物にどう影響するかという全部、3次元空間に時間経過を加えた4次元でのデータを全部取ってこなければいけないんです。


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― なるほど、計算結果のデータ量が膨大になる場合はそのような点も重要になってくるんですね。

本橋:

 その点、ABCIは、データのステージイン/ステージアウトという手順がありませんので、そのまま計算して、そのまま結果が見られます。また、ジョブも最長で72時間実行できるので、私たちには非常に実行効率が高いシステムと言えるわけです。


― 解析処理は何かツールを使われてるんですか?

本橋:

 そうですね、地震動の計算は原田先生の計算手法を使って独自開発したプログラムで計算しています。津波計算は、OpenFOAMという汎用性の高い流体解析ソフトを使って、そこに原田先生の断層モデルを組込んで、その断層の破壊による津波、その伝播といった計算をやってます。


― 計算システムによっては、環境構築もやりやすかったりすることもあるのでしょうか?

本橋:

 ええ、ありますね。また「京」との比較になってしまうのですが「京」の場合はCPUがSPARC64で、プログラム開発と実行環境が異なるのでクロスコンパイラが必要でした。ABCIはCPUもIntel Xeonでそのようなクロスコンパイラは不要ですから、計算環境の構築やプログラム最適化もしやすいんです。さらにCPUとGPUのハイブリッド並列機能のライブラリも充実してますので、CPUとGPUのハイブリッド計算の開発もしやすくなります。


シミュレーションを越えた防災教育への応用


原田:

 これまで地震工学というのは実際の地震被害から経験的に組み立てられてきました。でもやっぱり我が国全体にダメージを与えるような数百年~千年に一度と言われる巨大地震を対象としたときには、そのような経験的手法だけではどうしても限界もあるわけです。

 ですので、私はこれまでの経験的手法に加えて、計算機による物理シミュレーションのような理論的手法による予測に基づく地震工学を研究してきました。私が開発した手法を使った最初の大きなプロジェクトは、世界一のつり橋である明石海峡大橋だったんですが、設計当時いろいろ議論しまして、最終的には我々の計算理論的な手法が採用されたんです。ちょうど完成しかかったタイミングで、その明石海峡の真下の断層を震源として阪神淡路大震災が起きましたけども、ほとんど被害もなく予定通り開通できたというのは大きな成果だと思っています。

 ようやくAIの学習にも良い環境が整ってきましたので、これからの地震工学はコンピューターの中で大きな地震を何千回、何万回と起こすことで、その結果をもとに地域や重要社会基盤・生産施設の弱点を探してその対策に役立てることができるし、またそのような段階に来ているんじゃないかと考えています。


― 御社では今後どのような研究に発展していくのでしょうか?

本橋:

 防災の分野では、いま原田先生がおっしゃったようにAIと物理シミュレーションの結果と連携させていくということがあります。さらにもう一つ、防災・減災に役立つ教育を目的として、物理シミュレーションの結果と連携させて、必要な時に任意の場所の災害のイメージが再現できるようなVR/ARのデバイスやツールの商品開発を行いたいと考えています。例えばそれをメガネのようにつけたりして、ボタンを押すだけで、いま自分がいる場所でどんな津波がくるのかを見れるようなものですね。


― それぞれの地域で災害を疑似体験できるようなもの、ということですね。

原田:

 こういう地震工学をやって一番難しいなっていうのは、われわれの頭の中にある地震や津波被害のイメージを、例えばBCPとかで企業や自治体のトップの方、住民の方がたに伝えきれないことなんです。

 それで今のシミュレーションの動画を見せてこうなりますよって言うと、経営者や市長さんと、われわれのような専門家のコミュニケーションツールになるんですよね。で、そうすると例えば経営者のトップがイメ―ジができるわけです。うちの工場がこんなになってしまうんだと。あるいは市長さん議員さんが、最悪うちの街がこんなになるんだと。トップが理解してくれれば、防災対策もできる範囲でやろうとする方向に動いていただけます。また、対策をすると、被害がこれだけ少なくなることを動画で示すことができるので、防災対策費用と効果を定量化できます。更にこれからは一般市民の方にも災害を体験してもらえる商品を開発して、社会全体での防災意識を一層高めていこうということです。


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図2.工場施設内の津波対策効果の確認


― 今後ABCIに対して何か要望などはありますでしょうか?

本橋:

 いま新型コロナ感染症に対しては公募を通じてABCIを無償提供されているかと思います。もしできたらうれしいのですが、今後は自然災害の対策に向けた防災・減災の研究に対しても同じように公募などで計算資源のご支援をいただけると大変助かります。

 これからもABCIを使って高速のシミュレーションプログラムの開発を進めて、将来的にAIとその物理シミュレーションを組み合わせて、自然災害の様々な不確定性を考慮した総合的な視点から、被害予測・防災対策の提案、そして情報も発信して、災害に強い街づくりに貢献していきたいと考えています。


株式会社 IABC https://www.iabcteam.com/